パイロット・スタディ・プログラム

「グローカルな機能主義: 東日本大震災のナラティブを事例に」

R5 2-2 (令和5年度 AY2023)

研究代表者高橋 知子 (京都大学東南アジア地域研究研究所 / 機関研究員)
研究課題グローカルな機能主義: 東日本大震災のナラティブを事例に
研究対象国日本

研究概要

本研究は、一般市民の国際機構の近代的な機能主義への認識を、東日本大震災を受けた国連防災世界会議をめぐる国連と市民の交流を題材に明らかにする。従来の研究では、国際機構が、本当に市民の声を反映した正統な存在であるかという点について、サーベイによって明らかにしてきたが、そこでは尚、国際機構が、「環境や技術を御する/人間にとって有益な機能を提供する」存在として措定されていた。本研究では、こうした機能主義的な発想を、市民が共有しているかを、国連の資料や関係者・市民へのインタビューを通じて問い直す。

研究目的・意義・期待される効果など

本稿の大きな目的は、市民の国際機構の近代的な機能主義への認識を明らかにすることである。意義は大きく二点ある。第一に、一般市民にとって、(国家という媒介を挟んだ)「国際的な」制度は、直接声を持つことが出来ず、エリート主義的だと指摘されてきたが、それらの役割が益々増大するなか、市民にとっての国際機構の正統性の問題が浮上してきた。抽象的なレベルでの国際機構に対する認識を扱ったサーベイを超えて、市民がボトムアップで国際機構に参画し、声を反映させている事例を検証したい。第二に、国際機構が「環境や技術を御する/人間にとって有益な機能を提供する」、「近代的な」制度であるという前提について、「想定外」という言葉が多用された東日本大震災を題材に問い直したい。成果としては、日本語・英語の双方で、それぞれ複数の論文を執筆することを考えている。歴史学では、帝国主義が国際連盟・初期の国際連合によって支えられてきたことが論じられており、それゆえに、特に非西欧圏の市民は、国際制度に対して懐疑的であったと指摘されることも多いが、現代の実感として、国連の機能主義が当然といえるかどうかについて、地理的にアジアに位置する日本の事例を通じて論じたい。ポスト「仙台防災枠組2015‐2030」に向けて、動きも活発になるなか、災害に対するレジリエンシーが弱いとされる途上国に対して、日本がグローカルなレベルで援助をする際の指針も示唆する研究である。