パイロット・スタディ・プログラム

「大英帝国ビルマにおけるシャン・ソーブワと植民地行政官たちの交渉過程(1937年-1948年)」

R4 2-1 (令和4年度 AY2022)

研究代表者菊池 泰平 (大阪大学大学院言語文化研究科言語社会専攻 / 博士後期課程)
研究課題大英帝国ビルマにおけるシャン・ソーブワと植民地行政官たちの交渉過程(1937年-1948年)
研究対象国ミャンマー

研究概要

本研究では、1930年代から48年のビルマにおける、タイ系少数民族シャンの藩王(以下、ソーブワと表記)たちが訴えた「自治」とは何かを明らかにする。ソーブワたちを英領植民地統治の手先として位置付ける紋切り型の先行研究では、彼らの言動や行動が、これまで無視されてきた。本研究は、大英図書館所蔵のインド省公文書群や、英国国立公文書館の資料群に残された史料の収集・読解を行うことで、彼らの政治的主張をいま一度振り返りたい。

研究目的・意義・期待される効果など

ビルマは、3度の英面戦争を経て、1886年に完全英領化された。主にビルマ族が多数派を占める本土では植民地政庁による直接統治体制が、少数民族が暮らす辺境地域では間接統治体制が敷かれた。

辺境地域に位置していた現シャン州では、ビルマ王朝を滅ぼした英国が、各地のソーブワたちを植民地行政下に取り込んでいった。1922年、本土における行政改革に先行する形で、諸藩王国は連合シャン諸州として再編した。ソーブワたちは自領の統治に加えて、弁務官がビルマ総督の代理として率いる諮問機関の構成員となった。こうした事情から、ソーブワたちは植民地宗主国による分割統治の協力者、そして民族団結にそぐわない存在として、歴史記述のなかで周縁化され続けてきた。

しかし、ビルマ円卓会議(1931-32年)の議事録や、戦後の行政文書に目を向けると、ソーブワたちは漸進的な自治を求めて植民地政庁に働きかけていたこと、その一案としてシャン地域の統合を訴えていたことが分かる。彼らの訴えた自治とは何であったのか。

これを解明するための手がかりとなるのが、辺境地域行政を担った植民地行政官たちとの交渉過程にある。人類学に通じた行政官たちの中には、少数民族の保護を理由として、ビルマ辺境地域内の統合を行ったうえで、本土との連合を志向する者たちがいた。この主張は、ソーブワたちが求めた自治とよく似ている。

仮に、1930年代から戦後までにソーブワたちの行っていた議論が、植民地行政官たちの民族知や、それに基づく政策提案に影響していたとすれば、英領植民地統治の協力者という従来の短絡的な評価は変わるのではないか。

Photo 1: 大英図書館所蔵のインド省文書(India Office Records:IOR)の一部が収録されたマイクロフィルム
大英図書館所蔵のインド省文書(India Office Records:IOR)の一部が収録されたマイクロフィルム
Photo 2: マイクロフィルムの閲覧と現像
マイクロフィルムの閲覧と現像